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『A.F.P.S.V』Day.18 → Day.35

2021.08.31



みなさんお久しぶりです。HRTです。

『HRT怒りの全力夏休み』日記最終日です。


さて、いろいろとお話ししたいことがございますが、まずは何よりなぜ三週間も空いてしまったのかご説明させていただきます。


コロナにかかり自宅療養していました。


はい。そういうわけです。症状の段階としては(おそらく)軽症と中症の間くらいでしょうか。自宅にはいたのですが、とても創作活動ができるコンディションではなかったためです。今思えば早めに活動停止宣言とかしておいたほうがよかったかもしれませんね。


もし「最近あいつ見ねぇなぁ」と心配をしていただいた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。やっと回復したのでこうして筆を執っている次第です。


さて、今回は【コロナの闘病記録】と【今後について】の二本立てでお送りします。




コロナの闘病記録


さて、コロナについてお話します。発症したのは13日の金曜日夜でした。今思えば不吉な日ですね。

いつも通りの日常を過ごし夜布団に入ったのですが、どうにも寝苦しく『アッこれ熱あるな』と思ったのを覚えています。とはいえもう布団に入って電気も消してるし、寝ちゃえば何とかなるだろうと思いそのまま就寝。


朝起きても倦怠感を感じたので熱を測ってみました。この時は確か38.5℃くらいだったと思います。そこそこの高熱に驚いたのですが、この時点ではまだ『風邪ひいちゃったかな?』くらいの認識でした。なのでこの日は日記の更新をしていますね。


日中は友人とゲームをしていたのですが、寒気と倦怠感がひどく、途中で切りやめて布団に入りました。この時点で熱が39℃までいっていました。この時に『あれ?これまさかコロナか?』という考えが頭をよぎりました。


そこからたしか7日間かな?ずっと布団の中で過ごしました。咳もひどく、熱も38.5〜39.5℃あたりを行ったり来たり。咳がひどすぎて、食べたものをえづいて吐いてしまったりして…


ちなみに7日間毎日、区で決められている手順通り『東京発熱相談センター』に電話をかけていました。

先に手順を説明しておくと(中野区の場合)かかりつけ医がいればそこに連絡。いなければ『東京発熱相談センター』に連絡して対応できる病院を紹介してもらうというのが正規の手順でした。生来の生真面目さもあり、『こういう時こそ正規の手順に従おう』と考え、『東京発熱相談センター』に電話を掛けました。


結論から言うと、

マジで繋がらねぇ!

思わず【コロナについて】の見出しよりでかいサイズにしてしまった。


一日に何回もかけたのですが、まったくつながりません。『このままお待ちいただくか、再度おかけ直しください』と流れる音声に対し、『ほんじゃあ出るまでかけてやる』と思ったのもつかの間。1コールくらいで勝手に切れるように設定されていて、『再度おかけ直しください』ブツッてな感じで切れちゃうわけです。ひたすらかけまくれば繋がる。なんて記事も見ましたが、こちとら咳に苦しみつつ、熱も38.5〜39.5℃の熱がでとんねん。出るまで執拗にチャレンジする体力なんかないです。


そんなわけで7日間毎日電話をかけ続けたのですがまったくつながらず。この時友人や家族にも報告済みでしたので、いろいろとああしたほうがいいこうしたほうがいいと教えてもらいました。


ただちょっと愚痴なんですけど、みんな心配してくれてるのはわかるし、特に家族なんかは相当心配だからこそだと思うんですけど結構いろいろ言ってくるわけです。なんですけど、ぶっちゃけ当事者としては体調的にそれどころじゃないというか、いろいろ言われすぎて『わかったわかった』みたいな気持ちになっちゃってたんですよね。


実際に咳で地獄を見て、熱も39℃までいってる時に、元気な人たちからラインでいろいろと送られてくるとちょっとしんどいんですよね。ただ結果的にはその教えてもらった情報のおかげで病院に電話がつながったので本気で感謝です。


友人Mマジでありがとう。


上の愚痴は病気のさなかで精神的に弱っていたからこそ感じたことだと思ってください。


さて、ずっと電話がつながらなかったわけですが、友人に教えてもらった『#7119』に電話するという手段が功を奏しました。ただこれも本来であれば正規ルートではないようです。『#7119』は救急車を呼ぶ前に症状などを報告し、判断を仰ぐサービスです。事故やコロナ以外の病気などの際に利用するもので、救急車を無駄に呼ばないようにするための導線の一つだと思います。


実際電話したら、「うちにコロナ関係の情報は回ってきてないんですよね」とのことでした。そのため、「近所で救急で内科の対応ができる病院」を4件教えてもらいました。ただし、コロナに対応しているかどうかは自分で電話して確かめてみてくれよな!とのこと。


運よく一件目が対応していました。とはいえ発熱外来の受付は朝かららしく、その日はおとなしく寝ました。起きてすぐに電話をかけ、その日のうちの診察が決定したわけです。


この時、電話対応してくださった女医さんに「医者いってないんですか?」って言われたんですけど、ちょっと釈然としません。正規の手順でやって繋がんないんじゃ!別に好きで行かなかったわけじゃないねんコルレィ!て思いましたね。いやこの医療崩壊の中、医療に従事する方にはほんとに頭が上がらないのですが。


話を戻します。その日のうちに病院に行きました。歩いて20分くらいの距離で、熱にうなされながら行くのはかなりしんどく、地獄を見ました。


もちろんなるべく人のいないところを通り、回り道しながら目的地を目指しました。


病院の外で対応を受け、特別に作られた外の診察室で診察。あの鼻に綿棒入れるやつがマジで痛かったです。注射よりヤダ。わかってはいたことですが、ここで陽性と判断されました。


咳止めと解熱剤を処方してもらい自宅へ帰還。ご飯は相変わらず食べられなかったのでそのまま薬を飲んで寝ました。そりゃそうって話なんですけど、コロナに対する薬はないんですよね。改めて実感しました。解熱剤と咳止めという、『症状』に対応する薬のみで、なんかこうインフルの時の抗生物質みたいな、これ飲んどきゃおけ!みたいな薬はないです。だからこそ騒がれてるし、当然のことなんですけど自分の無知さにちょっと驚くというか、もっと関心を持たなきゃだめだなぁと発熱でぼんやりする中考えてしまいましたね。


そこからは楽になりました。


ということもなく。地獄は続く。


解熱剤は効いたとはいえ39℃が38℃になるというか、飲んだうえで高熱みたいな状態が続きました。咳止めなんかお前ほんとに息してんのかってくらい効いてる感を感じませんでしたね。ここから数日は本当にきつかったです。症状もおそらくピーク状態のようで、咳が止まらず横隔膜が攣り、痛みの中音が聞こえなくなっていく…みたいなことがあって、本当に死ぬかもと思いました。


精神的にも弱っていて、友人のやり取りを見るのもしんどくなりミュートにしたり… 何を食べたのか何をしたのかと心配からとはいえ質問攻めでライン連打してくる親に対し、「ごめんちょっと連絡を控えてほしい」と伝えたり…


大きな病気にかかったことのない僕にとって、かなり精神的に負荷がかかっていました。一日の過ごし方としては、

・寝る

・眠れないのはわかってるけど布団の中で目をつむる

・ちょっとコンディションがいい気がするのでYoutubeでAPEXなどの動画を見る

の三択でした。これをローテで二週間くらい回していた感じになります。


Youtubeってニュースとか表示されるじゃないですか。そういうのでコロナ関係の人が亡くなったニュースとかたくさん目にして不安にもなりました。ラインのグループとかにも人が亡くなったみたいなニュース記事のURLが張られていて、みんなが「怖いね~」と話しているのをよりによって一番しんどいタイミングで見てしまったり…


兎に角不安でした。急に重症化するということもあるわけじゃないですか。持病とかは特になかったとはいえ、運ゲーなんですよね。重症化しないように神に祈るしかないみたいな。決して大げさな話じゃないというか、今俺は死ぬ可能性がある状況にいるんだと思うと本当に怖かったです。


毎日ラインで保健所に体調を報告しました。そして26日くらいにやっと熱が平熱に戻り、咳も、出はするけどかなり軽いものになりました。


ずーーーーっとご飯を食べておらず(親に送ってもらったウィダーやゼリーをちょっと食べるくらいの毎日でした)この日久しぶりに冷食の焼きおにぎりを食べられました。ものすごくおいしく感じましたね。よくニュースで言われてる味覚の消失もあったみたいで、(あんま食べてないから気が付かなかった)ゼリーの味とかも気が付かなくて、この日から「あれこれこんなはっきりとした味あったんだ」と気づいたりしましたね。


さて、そこから数日は何とか立ち上がれるようになり、休み休み届いたパソコンをセットアップしたり、パソコンをいじって過ごし、現在連休最終日に日記を書いているわけです。


ちなみに今も咳は出ます。外出許可は出ましたが、相変わらず自粛中です。後遺症があるかどうかはわかりませんが、まだちょっと息苦しさとかは感じます。トイレットペーパーがなくなってしまったので、スーパーに買いに行ったのですが、いつも行っていたスーパーなのに、ものすごく体力を使ってしまい帰ってきて動けなくなってしまいました。体力の低下もあるし、まだ肺が完全な状態ではないのだと思います。


さてこれが25歳男性・一人暮らしの自宅療養記録でした。


最後にちょっと思ったことを。


今東京にいる人(東京以外もそうかもしれませんが)ってみんな『まあ、俺はかからんやろ』って思っていると思います。僕も思っていました。コロナもどこか他人事というか、自分だけは大丈夫みたいな気持ちがありました。多分実際に感染しないと実感できないものではあるのですが、いやぁ全然他人事じゃなかったわ。日記を見てもわかる通り、確かにちょっと出歩いたりはしてました。ただ、少なくとも知人と比べると比較的出歩いていないほうだったと思うんですよね僕。アルコール消毒もまめにしてましたし、一般的な予防策はやっていたつもりです。それでもかかってしまったのはもう運でしかないとは思うのですが、人生設計を狂わされたのは確実ですね。


本来であればバイトを探し、明日(9月1日)から働くつもりだったのに。体力的にも到底働ける状況ではなくなってしまいました。この辺りは次の項でご報告させていただきます。


あと、巷で言われている『医療崩壊』というのを体感しました。行政の提示する手段で連絡してもまったく繋がらない。今って表ルートが機能してないこともあり、裏ルートで何とかしようとする方が多いみたいです。裏ルートというのは国の手順を無視して、

・コネで診察してもらう

・軽症でも救急車を呼ぶ

・医者に突撃する(僕の時も病院には入らないでくださいと言われました。基本的に感染の疑いがある人は病院も専用の対応をしなければならないのに、普通の風邪みたいに内科に乗り込んじゃう人もいるみたいです)

などなどのアクションを起こす人々も多く、混乱に拍車をかけているようです。ニュース等で見る、亡くなってしまった方々は、逆にまじめにルールを守った人なのかなと思うとやるせない気持ちになります。


いろいろと調べる中で、医者の方がツイート(だったかな?記事かも?)していた『こんな時こそ国の手順に従って動いてください。自分が助かればいい精神でルールを破ると現場が本当に混乱します』という悲痛さすら感じる文章は忘れることができません。


もちろん当事者として理解はできるんですよね。死にたくないし、そもそもなんで繋がらないねん!こちとら本当にきついんじゃ!っていう。僕は先ほども書いた通り生来生真面目なタイプなのでなるべくルールを守って動くことを心掛けました。


まあとにかくこういう時こそ冷静に、国の手順に従いましょうというお話です。あとみんなコロナはいつ感染してもおかしくないからねという2点ですね。まあこれは結局感染しないとわからないことではあるんですが。25歳の「俺はかからんやろ」と思っていた男がコロナに感染し、人生設計に影響が出たということだけ知っておいてください。




今後について


さて、本来明日から働くはずだったのですが、とても働ける体力がありません。つまり無収入のニートになってしまうわけですね明日から。できれば2週間後くらいには働きたいと思いつつ、正直コロナが怖くて東京で接客バイトなんてやってられないという気持ちがあります。2回目のコロナとか全然あるらしいですからね。(将来雑貨屋を開くために雑貨屋でバイトをしながらクリエイティブ活動&フリーランス活動をしようと思ってました)


結論から言うと、地元に帰って実家のお世話になることにしました。

東京に戻ってくるかはわかりません。コロナ落ち着いたら戻るかもしれませんし、10年後くらいに店を出すときに戻ってくるのかもしれません。今どきネットがあればある程度活動はできると思いますし、正直東京にしがみつく理由はないのかなと感じています。


また、全然笑っていただいて構わないのですが、高熱にうなされ咳に苦しみ、ワンチャン死ぬ?と不安を感じた僕は、有体に言えばホームシックになってしまいました。両親もいい年ですし、1年くらい一緒に過ごしたいなと感じたわけです。


群馬に戻り次第、週4くらいで雑貨屋バイトをしながら、内装業の父の手伝いをして内装の技術を身に着けるつもりです。(これは人生設計に組み込まれていたことでもあります)もちろんクリエイティブ活動もガンガンやっていこうと思います。


正直東京でフリーターというのは金銭的に相当厳しいと思いますし、会社員時代から生活がいっぱいいっぱいだったんですよね。貯金もないし、歯医者すらいけないし…などなど

せっかくの機会ということもあり、環境を思いっきり変えようというわけです。


正直不安とか、負い目みたいなのもあります。箇条書きで赤裸々につづりますね。

・会社を辞め地元に帰るって客観的に見ればいわゆるドロップアウトだよな

・25歳フリーターで実家に養ってもらうの?

・群馬に帰るというのが正しいのかどうかはわからない

・友人たちと会う機会が減る

・あんまり地元の友人と仲がいいわけではないので不安

・この選択が将来の夢である雑貨屋につながるのだろうか

といった具合ですね。怖いです正直。


でも確固たる事実として、今の状況で『東京で一人暮らし』をすることって難しいし、リスクやデメリットのほうが多いと思うんですよね。またまた箇条書きさせていただきますと、

・住民税や家賃など金銭的な問題(同じ金額のところ群馬ならかなりいいとこ住める)

・コロナの再感染の危険

・いろいろなものがあるのはメリットだがそもそも自粛で出歩かない

みたいな感じです。


正直飲みに行く気は失せましたし、友達とは通話しながらゲームができればそれでいいみたいなところありますしね。地元にもどって家賃食費なし(もちろん実家にお金は入れます)のほうが逆に会社時代より余裕ができるかもしれません。


まあそんなわけで実家で暮らすことに相成ったわけです。先ほど不安を列挙させていただきましたが、結局言ってしまうと、自分次第ではありますよね。この選択が吉と出るか凶と出るか、ではなく吉にするか凶にするか、なわけです。


将来の夢である雑貨屋を開くために邁進するのは変わりません。今後もブログという形で適宜報告させていただきますので、よろしければ応援よろしくお願いいたします。



以上になります。長々とお付き合いいただきありがとうございました。


それでは皆さん。おやすみなさい。

HRTでした。






PS.引っ越しが9月末か10月頭なので1か月間ニートになります。ニートっていうか25歳男性無職ですね。しんど。クラウドワークスなどで小銭を稼ぎつつ、クリエイティブ活動・動画などのウェブ活動に力を入れようと思います。



















































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